保延遺蹟

保延遺蹟(ほのべいせき)

この遺蹟は、H11年卒、保延恒先輩が我々に託された、メッセージの数々を収めたものです。H11年度に書かれたため、時代背景や人物名などが分からない点もあるかと思いますが、今と全く変わらない白熊精神は、伝わってくることと思います。

遺蹟公開 Opening

水泳部に5年もいればもう遺跡だ、いや俺なんぞは今ここにいること(3月電撃留年)自体ほとんど奇蹟で、いうなれば’遺蹟’である。保延遺蹟。

なぜみんなもっとこの遺蹟を発掘しないのか。答えは簡単、保延遺蹟は険しいからだ。万丈(ばんじょう)の山、千仞(せんじん)の谷、函谷関も物にならない(要はとっつきにくすぎ人間)。しかしこの遺蹟はいっぱい詰ってるぞ。そこでほんぽー初、なんとインターネットという大変お手軽お気楽手段で遺蹟を公開しようというのだ。家にいながらに発掘できてしまうとは、すばらしー。ただこれも生身で発掘しているヤツらに比べれば垣間見たにすぎないけどね。

おなじことをいうこと Saying the Same

こーゆーことやってると同じことを言ってしまう(なんですと?)。つまり前に誰かに話したことをインターネットでまた書いてしまうのだ。ついついこれはやってしまう。もちろん大勢に言ったことをくり返すことはないが、身近な少数にしゃべったことを書くことは確かにあった。これをやるとき俺はちょっぴり恥ずかしく、ほんのりカッコ悪い、感じがする。だって同じこと言ってるんだもの、同じこといわれてもつまらないでしょ。

えてして’同じ’に気づく連中は普段、生身で俺を発掘しているヤツらで、俺にはそういうヤツらの方が大切で、そいつらに見限られないようにカッコはつけておきたい。ここでもだから、彼らのために未公開です、ということは全然あり得る。その部分を観たいならこういうしかない。 「生身できてください」

(メールもある意味生身かな)

インカレ優勝してほしい I have A dream

俺には夢がある、でっかいでっかい夢だ。それはいつの日か北大がインカレで優勝することである。こんなことを言うとみんな大概ひいてしまう。理由は色々あるだろう、あまりにも非現実的とか。でも一番の理由は’そうなると初心者とか遅い人がないがしろにされるのではないか’ということだと思う。

そこで俺は「なぜそうなるの?」と思ってしまう。別に今強い中大とか日大とかのやり方でやならなくたっていいじゃないか。むしろ同じことしてたらいつまでも勝てないのではないだろうか、いや多分そうだ。俺はこの北大の’いろんな泳力の人がいる’というのは私学列強にはない強力な武器だと思う。’いろんな人パワー’って絶対ある。初心者だけでは上達は遅いだろうし、上級者だけではタイムや勝負だけの無味乾燥な気分になってしまうと思う。この武器をもって戦っていけばエリート集団を倒せる日は来る(いやほんとマジで)。だって現に北大の選手が、同じ泳力同志で練習しているスイミングの選手に勝ったりしてるではないか。これは’いろんな人パワー’によるものだ。まさに『北大はいろんな人のたまもの』

これはあくまで俺の思考のうちの話だが、これからの時代(20年後くらい先)’いろんな人パワー’のないチームはもう勝てないような気がする。それがあるチームが求められるのではないだろうか。

(仮名)「週刊 ALL」 Weekly ALL

「週刊 LONG」おもしろい。スポーツ新聞風に練習メニュー、説明が書いてあって、その他に質問コーナーやコラムの連載がある。これぞアイデア、読に値する。これをLONG面だけじゃなくて全体でできないだろうか。

(仮名)「週刊 ALL」。メニューがあーゆーふうに書かれれば、もっとみんな見るだろうし、そんなことよりなによりおもろい。連載もインターネットでやってるみたいのをそこでもやればいい、単発投稿とか募ったり。ただあれはあれでLONG面という範囲だから比較的気楽にできるってのはあると思う。全体にしたら学級新聞みたくなって死んでしまうかもな。

小池をのがすな Don’t lose Koike

「小池はスイマーとしてはすごいが、部員としてはダメだ」そんなことをよく聞く。どうだろう、俺はむしろ逆だ。トレーニングの捉え方、大会に対する態度、体調管理など、スイマーとして小池をすごいと思ったことはあまりない(小池のレースで勇気づけられたことは何度もある。七帝の400混継は忘れない)。一方、部員小池はどうか、これはちょっとすごいんじゃないか。ピリピリとした空気をなごませたり、競泳オンリーではつらい部員を安心させたり、なんだか楽しいことを考えついたりと。確かに1,2年の小池はひどかった(俺もひとのことはいえないが)、俺はあいつの先輩でなくてよかったとつくずく思う。同時にこうも思う、主将のとき、あいつが副将でいてくれてなんて俺は幸運なんだと。もし小池がいなかったら、俺はゾッとする。

と、このようにあいつは’すごい部員’である。ラッキーなことにあと2年は学校にいる、貴重な存在である。しかしかなしいかな、小池は部に行きづらいなどと言っている。このまま小池が消えてしまうのは部にとって(俺にとっても)悲しいことだ。小池を好きな人もっと積極的に、嫌いな人わりきって、みんなであたたかく迎えましょう。逃がした魚は大きいよ。

女子はのびないのか Why dosen’t grow

「小・中・高とみっちり水泳をやってきた女子は大学ではのびないのか」日本のトップを見てもそうだが、現にのびてる人は少ない。俺にはどうでもいいことだが考えてみた。よくいわれるのは女子は子供を産む体になるためスポーツに向かなくなるということだ。確かにある朝俺におっぱいがついてたら、2個メ20秒切れないだろう。

思うに男にも同じようなことはある、「老い」だ。高校時代に比べて練習に弱くなったとか、回復が遅くなったとか。それに気づかないで(もしくは認めないで)昔のやり方を変えずにハマるのが、1,2年生によくあるパターンだ。自分の信じてきたやり方を捨てるのは苦行に近いものがある。

女子はこれのゴクい版ではないだろうか。女子の場合「老い」+「お母さん化」の2回、またはダブルである。練習のやり方考え方にかなりの転向を要求されるんだろう。そこでそんな難儀するよりは大筋今までのでやろう、という人が出る(全体の50%当社リサーチ)。あとは変えたのだけど実行段階でうまくいかない人も相当数(全体の40%)。 残りはわずか10%である。

わしゃジャンキーか Junky, am I?

部活を4年間やってると他大にもそれなりに顔見知りができる。とはいっても試合中に知り合った訳でもなく大体がコンパでお知り合いになるわけだ。だからコンパ中の俺しか知らないという人は結構いる、そんでもって後日大会などでおしゃべりするとこうである 「意外に普通ですね」。そりゃそうだ、俺は学校に行き(?)、友達と遊んだりバイトしたり人間社会で生きてるんだから。普段から裸になったり、はり手合戦したり、ジョッキに小便したり、わしゃジャンキーか。

しかし今にすれば、そーゆーふーに思わせておけばよかったかな、とも思う。普通のとこ見せなければよかったかな、と。どうだろう… そんなヤツが試合会場でうろうろしてたら、プールサイドで見かけたら、同じ種目に出てたら、同じ組だったら、隣だったら、ひぃーー。 ああ、そんなんにしておけばよかった。ちょっと狂ってるくらいの方が不気味でコワい(これは水泳の意味でも)。スゴみがあっていい。もう俺は遅いけど、現役のみなさんやってみてはどうですか。

教えれない人間の思考 I can’t Teach

秘密ということじゃないよ、「teach」のこと。前に後輩から「保延さんは教えてくれない」と言われたことがある。確かに俺はミーティングでメニューやトレーニングについて解説はするが、個々にはほとんど教えていなかった。自分からもしなかったし、聞かれても「それは○○に聞いた方がいいよ」とかいっていた(らしい)。いわれるまで別に意識していなかったが、実は俺は’教えれない人間’のようだ。

あんま知らないことは教えられるんだけど(いいかげんだ)、それなりになってくると教えられなくなってくる。水泳なんてのがそうだ。俺はこう思うものがあるんだけどそれがあなたに通用するかわからない、具体的なフォームとか特にそうなる。しかしそんなことを言っていたら誰も教えられる人はいなくなってしまう。だから「俺はこう思うものがあるんだけどそれがあなたに通用するかわからない」という部分をぐっとのみ込んで、教えるしかない。教えられる方もこの部分を納得した上で教わる。つまり最適でないということをお互い知った上で結局、教えることも教えられることも妥協なのかもしれない。

教えれない人間の思考でした。

乙黒よ、こい Otoguro, Come on!

みなさん、乙黒をご存知ですか。冬に2,3回来て来なくなっちゃったヤツだ。俺はその乙黒に入部してほしいと思っている。彼が速いからか、それもある。速いヤツが入れば、ワザを教えてもらったり、刺激を受けたり、速いヤツなりの影響がある。しかしなによりヤツが水泳が好き(一人で泳いだりしてるらしい)で、かつ遂げたい目標を持っているからだ。これはもう’こっち側’ではないか。

乙黒よ、

大会の問題とか色々あるけど、実際やってみればなんとかなるもんだ。部の雰囲気も勘違いしてる部分もあるし、冬と今はだいぶ違うと思う。俺は待っている。

こい

俺の名は400m個人メドラー King of Allround

トムドーラン、エゲルセキ、ダンオブライエン、レオナルドダビンチ、俺はオールラウンダーが好きだ、全部挑戦するヤツが好きだ、俺は400m個人メドレーが好きだ。そもそも4個メなんて4人でやるもんだ(4混継)、それを全て一人でやってしまおうという徹底した個人主義。そこに誇りを感じる。

スタート前、ぼろぼろになるのがわかっている恐怖。

バッタが終わってさぁここから、恐怖。

バック -ブレのターンであと半分、恐怖。

ラスト100、・・・・・50、・・・25、・・、・

まんべんなく体がやられている、一滴も残っていない。

そんな状態でプールに浮かぶ恍惚(こうこつ)感。

選ばれし者の’恍惚と恐怖’ふたつ我にあり。

俺の名は400m個人メドラー

追伸

おぎ、むね、加賀谷、まえしまん、小柳、小柳さん、そして高谷、北部での活躍を願う。

考えなくてすごい奴もいるが、

最後に勝つのは考えてる奴だ I Think to Win

と俺は思う。97年度シーズン(2~3年)のとき、ある真理にたどりついた。俺は覚醒した。

「速くなるには」→「ピッチを上げる、効率を上げる」しかない。

なんじゃいと思うかもしれないが俺には「これだっ」、暗闇に光が射した。これほど根源的でシンプルなものはなかった。それから俺は全ての練習をエリアで別けた。基本的にピッチを上げたところで効率を落したら意味はない、逆も然り。よって同時に気を遣わないといけないのだが、練習によって’ピッチは上げやすいが、効率が低下しやすい’もの、’効率に気はいくが、ピッチが保ちづらい’ものがある。前者を効率エリア、後者をピッチエリアとした。大体的には EN2・EN3はピッチエリア、AN1・AN2は効率エリアとおいた。(これ以外に純粋にピッチ上昇、効率アップの練習もある、主にドリルがそうだ)。2種類のエリアで別けられた練習は、目的をはっきり俺に突きつけた。だからタイムがよくてもエリアの外でやってしまったら自分を責めたし、遅くてもほくそえんだりした。当時はかなりマニアックな達成感を楽しんでいた。

脳はこのシーズンが一番使っていたと思う。練習が楽しかったか、と聞かれれば「はい」とは言えない。反省と自責のくり返しだった。そして七帝戦200バック、最後のターンをしたとき、周りは落ちていくのに俺は平気だった。そのとき初めて「ああ、俺ちゃんと練習してたんだなぁ」、思った。

98年度シーズン(3~4年)になってまた少し新しい’考え’が俺の中入ってくる、それは股こんど。

十学改造計画 Model Change

10月に十学というのがある。道内(約)10大学で争われ、12月の道学の前哨戦ともいえる対校戦である。しかるにこの十学(道学もそう)対校戦というのに、(役員は別として)ほとんどお互い知らないままだ。北大でいえば商大、札医以外あとは暗黒大陸といっていい。北部、七帝では「ほのべ、ほのべ」とちょっとした’かお’のわたくしすら、その辺で知ってんのは、まこっちゃん・和田・スガタ・大・樋口さんぐらいのもんか。どうだろう、対校戦は12月にもあるし、これをモデルチェンジしてみては。

ずばり全大学混ぜて、1年チーム・2年チーム・3年チーム・4年チーム(・OBズ)と学年ごとの対抗戦にする。正式3人、オープンありは従来どうりで、リレーは一大学一人まで、最後に全員リレーをやってもいい(これはやんなくてもいいし)。そうすれば他大生のレースにも注目するだろうし、もっと他大の人(同学年)と知り合いになれるんじゃないかな。他にも同じ大学もん同士の争いとか見てみたいし。フレンドリーアンド エキサイティング”十学改造計画”どーでっか。

酒は美味しい、暴力は痛い、人生は遠い Mind Hurts

飲んでケンカをしても痛くない、察しはつくと思うが多分感覚が麻痺してるからだろう。しかしこれはやっちまった人じゃないとわからないが、心が痛い、強烈に激烈に痛い。なぜなら酔って気が大きくなったときに暴力を振るうなんて、ちっさいちっさい小さすぎる。これは俺の(ケンカもそうだし、しかしそれ以上に人間の)’弱さ’だ。いわば限界値、底。自分の’底’をみられることはつらすぎる、だからかくも強烈に痛いのだ。俺は3ヶ月に1度くらい、我を忘れてやってしまう。その度にガツンとやられ、もおー直ったと思う。ああ、人間の’底’は変わらないのか。今はむやみに謝ることでラクになってしまわないようにしたい。

ベストタイムは出すが

それがベストな俺のわけではない Look Real My Best

七帝戦エントリーの季節がやってまいりました。俺は100バックに出ようと思っている。やるからにはベストタイムを出したいし、そのつもりで4月からやってきている。1分3秒49(97年七帝)俺の中ではこの年一番のレースだ。これが俺のベストタイムで、それを越えようというのだからそれなりに大変だ。が、このときがベストな俺というわけではない。(わかりまっか?)

つまり、ベストな俺はほかにあるのだ。それは4年のときの俺である。去年、100バックはメド継で2本泳いだきりである、3秒66と3秒60。去年の俺を見てくれた人は全然納得できることだけど「はっきし言って4年のときの方が速いでしょお、機会があればもっと出てたっしょ」今んとこ’タラレバ’なんだけど多分真実です。7月25日証明します。

熱い夏の前に Before the Summer

まじエントリーの時期が来た。全ての試合は一種目三人まで、いわゆる”正選手”というやつがある。今日はこのことについて書く。まずこの正選手に入らなければ泳ぐことすら許されない(七帝戦にはOPENがある)。特に人数の多い男は、全員埋まるのは当たり前、さらに相当のタイムを出さなければ3人には入れない。そしてこのラインは年々上がっている。ライン付近の選手は判断を迫られる’専門種目を貫く’か’他で正式を目指す’か。

俺は後者を選ぶ。

ポリシーがないのか、いや試合に出るのがポリシーだからだ。仮に北部、関カレに出れるなら七帝は専門をOPENで計りたいというのはある。では唯一出れるのが七帝としてそれでも専門外に出るか、それでも俺は正式に出たい。では、それが4年のときならば、・・・それはわからない。

バカバカしい、思考の上で自答しても、リングサイドで解説を入れてるのと同じだ。ただ俺は、貫くヤツにも魅力を感じるし認めてる、とにかく、一生懸命考えて悩んで苦しんであきらめないでやってるヤツらがかっこいい、それは絶対言いたい。

そして夏、かっこいいヤツらのかっこいいレースをみよう

3本で抜け出せる the Super Triple

「タイム」と「勝負」、水泳はモチベーションが2つあっていい。タイムは確実、やった分が絶対評価で表れてくれる、が勝負はそうはいかない “絶対相対”。自分が成長してもまわりがもっと成長していたら、それは後退である。不思議の国のアリス赤の女王はこう言う”その場にいたかったら全力で走りなさい” 結局みんな速くなりたくてやっている、がんばってがんばってやっと現状をキープできるそんなもんである。

そんな流れ、みんなのスピードから抜け出すには(言い方は悪いが)もうヌケガケするしかない。みんながウォータースライダーをやってるときに練習する、午前練と午後練の間に自主練をやる、などわかりやすい例である。運良くいつでもどこでもウォータースライダーがあってくれればいいが(京大プールにつくるか)、そうもいかない。そこで今回、手軽(?)な抜け出し策を1つ教えましょう。

“ラスト3本からとばす”である。これは主にAN系のとき使う(EN系は違う)。すげーつらくても「ラスト」となればなんとかとばせる、たぶん半分くらいの人はしてると思う。「ラスト前から」となるとぐ~んといなくなる、そりゃきつい、1本とばしてもまだ1本あるんだから。調子が良いときならまだしも、いつもこれをやってる人となると北大で2、3人くらいだろう。そして「ラスト3本」、1本とばしてあと2本、説明不要。これはもう北部、七帝で2、3人だろう。たった3本でここまでいける、一気に突きはなす、当然の’流れ’から抜け出す。残り3本、極上のディナー、さあ召し上がれ。

男、上住 Uezumi is the Man

俺が他大の人についてとやかく言うのはどうかと思うが、もういい書いてしまえー。東北大の上住さんをご存知でしょうか。3年生以上で知らない人、あなたは天然記念物なので古河講堂に展示します。まあそれぐらい北大ではメジャーキャラなわけで、知らない1、2年生はこれを読んでインプットしておくように(今年の東北戦は仙台じゃ)。

俺があの人を知るようになったのは意外にも2年になってから、上住さんが3年で主将をやっていたときは知らんかった(他大主将なんてそんなもんだ)。それは弘大プール、北部国公立ラストもラスト800mリレー。東北は弘前と全国公の出場権をかけて争ってた、リレーで勝ったほうが勝ち。ムチャクチャ緊迫した状況。その当時東北はあと一人速い奴がいればいいのにみたいなことを言われてた。そしてその4番手が上住さん。みんな明らかにわかってたし、俺もそうだなぁって・・・・・・・でも上住さんは違ったね、死んでなかった。レース前、俺がなんかで外に出たら、あの人ひとり涼しいとこでストレッチしてた。そこでちょろっと話した、シラフで話をしたのはそれが初めてだと思う(笑)。なに話したかは覚えてないけど、ただあの人が死んでなかったのは覚えてる(目かな)。結果は東北の負け、現実はドラマじゃない、実力はとことんシビアに結論を出してくる。でも俺の中にはドラマじみたものが残ったけど。

その北部後の関カレ、俺は関カレで打ち上げをすんのが全然理解できないから行く気なしだったんだけど。上住さんに「俺も行くから来いよ」って言われて嬉しくなっちゃって行ったね。行って良かった、後にも先にもない、あのコンパ伝説だよ(これはいつか書く)。

まあ上住さんといえば、コンパのしっちゃかめっちゃかぶりが有名なんだけど、今は落ち着いてるっぽい(この辺が他大のくせに何がわかるんだってことになるんだけど、俺けっこう仙台行ってたということで許してください)。それがただ落ち着いちゃったっていうんじゃなくて、なんか深みを増したというかあったかくなったていう感じなんだな。(なんか照れくさくなってきたぞー)俺が悪酔いして先輩方にからんだり暴力ふったりしたとき、みんなは’つまみ出せ’って言ったんだけど(いや当然です)、あの人は俺といっしょにいてくれた、同じこと繰り返してる俺の話を聞いてくれた。俺が逃げた時も追いかけてくれた。なんかそういうのがすげー嬉しかった。(恥ずかしさ最高頂、がんばれここまで書いたんだ!)多分酒とかであの人自身、もっとつらい想いしてるから、酔って”底”見せちゃってるヤツにあったかいんだと思う。俺もそんな先輩でありたい、いやなりたい、俺には無理かもしれないけど目指す。

追伸

これ、上住さん見ませんように

上を向いて歩こう Positive Walking

創世記4章7節

「なぜ顔を伏せるのか。もしお前が正しいなら顔を上げられるはずではないか。しかしお前が悪いのなら、罰は待ち伏せしお前を支配する。お前はそれを乗り越えねばならない。・・・・・・今、お前は呪われの身となった、もはや土を耕すことはできない。お前が殺した弟の血を受けたその土は、お前に何も産み出さないだろう。お前は地上をさまよい、さすらう者となるのだ。」

人は自分あるいは他人をカインになぞらえ、「土」を、「弟」を、「地上」を様々なものにたとえ責めたてる。それ自体が「罰」ともいえる。だが真実はちがう。人間はカインでもその末裔でもねえ、そいつはそいつだ。”伏せてる顔を上げ、歩きはじめる” それですべて決着はつく。

かーいいんだからしょうがない I’m sorry

いやいや今回はほんと失礼な話です。でも、かーいいんだからしょうがない。

水泳部で俺はここ10ヶ月くらい腹が立たない、立ったことがない。何やられても言われても、なんか微笑ましいのである(きもちワル)。はっきり言ってしまえ、かわいいのだ(まったく失礼)。なんか俺に嫌悪感をもってきた人がいても、「ああ、そんなんヤなんだ。かーいいな」となってしまう。なんか対抗してきても「ああ、意識してんだあ、かーいいぞえ」となってしまう。そこで’負けてられるか’とはもうならない。これはある意味”老い”でこんな俺はダメダメプーである。これが現役時代だったら俺は深刻に悩んだろう、が今は受け入れられる、なんか許せる。こうなると実はふところが楽、居心地がいい、なにもかにもかーいいんだから。ここに至った俺は水泳部におけるある意味”勝者”かもしれない。

俺が引退したからか、あるがそれも多少だ、深い部分は違うと思う。引退していい感じで距離が置けて、心地よいのとはなんか違う。多分これは俺が今までいっぱいぶつかってきたからだと思う、ガシガシやってきたからだと思う。そんな連中だし場所だから、今はかーいいくてしょうがないんだろう。ほんと悪いけど

杞憂 The Anxious

結果が出てから言うことにまるで意味がないので、俺の弱音ともつかぬ本音を書きます。

七大優勝を達成するまで、それが「本気で目指せばとどく位置にあるんだ」、「俺達は本当はすごいんだ」と言ってきた。そして実際達成できてからも、「昔の北大がいかに弱くて、これがいかに偉業であるか」なんてことを後輩に言うのは俺はヤだった。ヤツらにそんな昔話をいう必要はない、七大優勝を当たり前に思ってもっともっと上を目指してほしい(楽観するのではなく、自信と気概をもってほしい)。そう思ったし今もその気持ちに変わりはない。しかし今どうだろう。七大は”多分勝てるんじゃないか””まず勝てるだろう”という空気を感じる(男子なぞ実際いってるヤツもいる)。たった1年で俺が望んだ状態に達したのか、そんなわけがない。

こんな話を聞いたことがある。京大が七大10連勝を阻止されたとき、優勝杯を持ってくるのを忘れていたという。9年間’持ってきて持ってかえって’というルーティンワークを続けたためつい忘れてしまったのだろう。全国公シードで「常勝」といわれた彼らもついうっかりしてしまったわけだ。ましてや俺達、5連勝とたかだか初優勝、うっかりできる根拠もない。(むしろ9年間もルーティンワークをこなした京大は凄い)

そしてなにより、俺達には手強い手強い敵がいることを忘れてはいけない。去年、俺達が勝利の美酒に酔いしれていた(それこそチ○コまで出して喜んでいた)同じとき同じ場所で、それをおもしろくない、悔しくて悔しくてしょうがないと思っていた連中がいるはずだ。絶対いる。ヤツらがいかに手強くて執念深いかを俺は知っている。ヤツらは死にもの狂いでくるだろう、そういう連中にまた勝てるよう、ブッ倒せるよう俺達はやっていかなければならない。どうか気を引きしめてほしい。それではこの不安が単なる俺の弱気であり、杞憂(きゆう)にすぎないことを願って筆をおくことにする。

最後に

悔しくてしょうがなかった連中、そいつらの今年の活躍を心から願う。なぜなら俺もそういう連中の一人だったから。

肉をはずすな Keep the Target

「肉離れに気をつけよう!」と思ったあなた、今回は無理かもしれません。というかほとんどの人が、今回俺が何を言っているのかわからないと思います。それくらい俺個人の感覚的な話です。「わかる!」と思った方ご一報ください、語り合いましょう、これだけで2時間は飲めます。

すげー卑近にいえば「活動筋をはずすな」ということです(これは厳密には正確な表現でない、それは下述する)。筋トレをやっている人はわかると思うけど、例えば「アームカール」、上腕二頭筋を鍛えたいのにつらくなってくると広背筋を使ってしまう=二頭筋をはずしている、ということです。スイム練でも俺はこれを感じるし、気遣う。ただ水泳の動作は曲線で筋トレのように単純じゃないので、「上腕二頭筋」とか「大腿四頭筋」とかいえないんです。この辺がもう感覚トークになってしまうんですが、あえて”~肉”(俺の造語)で言わせてもらいます。

下半身(キック)でいえば、上外ズネ肉(「うえそとずね」・・・スネの外側の膝下20cmの部分)をはずさないようにしている。本来はスネとももを使うんだろうが、俺の場合(多分足首が硬いから)ももオンリーになりがちなので、スネにもくるように気をおいている。バサロのときは、もも裏もっこり肉(「ももうらもっこり」・・・膝を伸ばしたときもも裏にできるもっこり部分)をはずさないようにしている。けり上げオンリーにならないようにだ。 上半身でいえば。まずクロール、肩背中の肉(「かたせなか」・・・肩とその下半径20cmのあたり)をはずさないようにしている。俺はローリングより上下動して泳ぐので、ここにくるときは調子がよい。バック、コブラの肉(・・・脇の下をあげたときに胴の側から出てくる皮というか肉)をはずさないようにしている。フィニッシュを腕だけじゃなく胴体の力も動員したいため。バッタ、上腕二頭筋をはずさないようにしている。上腕三頭筋だけではすぐ死んでしまうので、二頭筋に負担を分けたい。

「肉をはずさない」の見地からいえば、スイム練は筋トレと違い、主動筋オンリーを鍛えるのではなく、その負担を減らすべく’正しい補助筋’を動員するためのトレーニングだ。ほっといても上腕三頭筋は動く、それを長生きさせるために周りの、どの筋肉を、どれだけ動員するかできるかである。基本的にAN系トレーニングは主動筋(上腕三頭筋など)オンリーになりがちだ。ひたすらそういう練習をしてるとレースでは、すぐ死ぬ選手もしくは、前半かなり押さえなければもたない選手になってしまう。よってAN系では肉の的を広げるように心がける。 EN系トレーニングでは逆に的が広がりすぎてしまう。疲れないために自然と色んな筋肉を動員してしまうが、それが実際のレース(速い泳速)で動員可能とは限らない。こういう練習をしていると練習(遅い泳速)は強いが、レース(速い泳速)は弱いということになってしまう。EN系では、疲れてきても「ここ」と「ここ」しか使わないという風に的を絞り込む心がけが必要である(これは筋トレに似ている)。

ふ~、書いちまったぜ。なんだこの空しさは、でもいいのさ。俺は1人のために書いたんだ、わかってくれるだろう1人のために。その人が誰か俺は知らないが、きっといるはずだ、1人は。たのむ

疲労禁止令 Don’t be tired

いよいよ北部まで一週間、疲労禁止令を発動しましょう。この時期、試合に疲れを残さないように練習でテーパーしてますよね。そしてさらに日常生活でもテーパーしましょう。そりゃそうだ、普段疲れるくらいなら練習で疲れるっちゅーねん(練習した方がいい)。普段の生活で疲れることするとその分どんどん練習できなくなってしまう。だからここまでやるんです、やるべきです。

「疲労禁止令」

暴飲暴食、徹夜はもちろん”急ぐの禁止” 激キャリ、駆け足、早歩き、疲れるくらいなら遅れなさい。”立つの禁止” 立ち読み、立ち話、立ち食いソバ、座りましょう。”感動禁止” 映画、ドラマ、グラップラー刃牙、感動すると疲れます。それは北部までとっておきましょう。とにかく疲れから遠ざかる。トイレは様式、ニュースは手話、お支払いはルンルンカード(なんのこっちゃ)。試合前は赤ちゃんの無菌室のような生活をおくるんです(でりけーと)。そしてインターネットも・・・ひかえましょう。

左読みのすすめ R→L

メニューを右から読んで(見て)いるか、左から読んでいるかでその人の考え方がわかる.さて右からの人、ズバリ左読みをおすすめする.

通常メニューはこのように書かれている

EN2  100×8×3  1’20 1’30 1’40 1’50 2’00

右読みの人

まずサークルを見る→距離、本数を見る→「よし、1’40でやろう」サークル決定。

左読み

“EN2”か、「最大心拍数ー40だな」→距離、本数を見る「泳速とレストにあたりをつける」→それらをもとにサークル決定。

結論から言えば、右読みの人はサークルが目的であるのに対して、左読みの人は”EN2”が目的である(サークルは手段)。右読みの人はあるサークルをまわれることに一生懸命になるが、左読みの人は”EN~””AN~”の達成に一生懸命になる。どちらも一生懸命だが内容は全然違う。もっと言えば、サークルをまわる方が’楽’な一生懸命である(肉体が疲労するので気づきづらいが)。右読みのやり方の良い点は、目的の達成がわかりやすいとこである。これはかなり有用で、利用すべきだ。しかしそういう達成感を楽しむのも週1くらいにしておいた方がいい。本質は’楽’をしているのだから。

前出の「最大心拍数ー40」などは暗記すればいいが、それで「泳速やレストにあたりをつける」のは経験的な(測定法もあるが、現環境では経験がものをいう)もので水泳の練習に慣れていない人はきついと思う。が、まず考え方を変えねば。そうしないことにはいつまでたっても「あたり」はつかない。逆に最初は手探りでも考え方さえ守れば、意外にすぐ(1,2ヶ月で)あたりがついてくるものだ。それには今から発想の転換(右→左)である。さあ始めようか

がんばったんだから大丈夫 Because you did your best

がんばってほしい。 この言葉、卑近すぎてこまっちゃうが本物なんだからしかたない。なんのてらいもなく、屈折もなく心からそう思う。なんだか湧き出てきて、ここ一週間くらい寝つけない(チクショー)。こんなに他人のことを思う俺は、実は自分ががんばってないんじゃないかと疑るくらいだ。よく”言われなくても当然がんばるよ” とか “がんばることの辛さを感じれないのに言わないでほしい” とかある(そんな人、けっこう好きだ)。それから”試合は当日一日がんばるんじゃなくて、一年間のがんばりが出るんだ” というのもうなずける。はっきし言って、お前らの中でがんばってこなかったヤツなんていねぇ。がんばり総生産(GGP)でいけば北大は超大国だ。だからカッコ悪くてもキモちわるくても、これは言うぞー。

がんばったんだから大丈夫

保延恒の「言葉」 My Little Word

メール(意見)をもらうとやる気が出てくる、カウンターが100まわるのより嬉しい(つけれないけど)。これも無駄じゃないんだなと実感できる。そんでもってこんな意見をいただいた「保延遺蹟は速い人の意見だ!」。その人から見ると俺は速いのでしょう、ありがとう(自分のことを’速い’なんて思った人はその瞬間終わりだ、けどひとから言われればやっぱ嬉しい)。ただこれは言いたい(さあ、本題です)。俺は4年間北部・七帝・関カレ・全国公全部出てきました、その中であきらめられたレースは一つもない(今となってはそれも誇りである)、当然全部ベストを出せたわけでもないし勝ったわけでもない。ましてはその悔しさに慣れてるわけでもない。レセプションに出たくない、とても酔えない、もうやめようか、悲しくて悲しくてやりきれないのである。つまり速くても遅くても痛みはいっしょだ。

俺は今回北部でやりきれなかった奴に何を言っていいのかわからないし、何を言っていいのかもわからない。俺自身「言葉」で復活できた経験がないし、参考にできるものがない。でも今、保延恒の「言葉」を言えば

七帝まで1ヶ月、もう練習しないでください。あと1週間がんばってからとか言わないでください。勇気をもってどうか体をやすめてほしい。一年間やってきたんだ、俺を信じなくてもいいから自分を信じてください。そして、リベンジ

目標を越えた目的がある Tarminal

幸福な2日間だった。今回の北部俺は試合に出ずに2日間ずっと応援でした。こういう試合は俺にとって初めてで、今まで応援のみで来てくれる部員には感謝+引け目みたいなものを感じていた。が、そんなことは全くちがうことがわかった。確信した。むしろもらいっぱなしだった。選手、応援入り交じった得体の知れない巨大な渦にとてつもなく感動してしまった。

確かに俺は5年目で初めから出場する資格がないので、出れないことの悔しさは当然ない。また去年まで選手として出場していた自負も潜在的にあるのかも(?)しれない(意識上ではまったくない)。そんなOBな立場からものをいうのは卑怯かもしれないが、いう。互いに感謝こそすれ「選手も応援もなんの引け目も負い目も感じることはない」

秋も、冬も、春も、そして夏、みんながそれぞれ目標に向かって一生懸命になることで’渦’が生まれる。そして自分がその渦中にいることが”目標を越えた目的”だと思う。そこはなんの引け目も負い目も存在しない。最終目的地 Tarminal である。

今回、その渦中にいた俺はなんとも不良OBだし、幸福だった

パドルについて about the Paddle

パドルについて俺の考えを書く。パドルの効果は「負荷をかける」「正しいストローク軌道を覚える」の2つである。「正しいストローク軌道を覚える」とは、パドルをつけて適当にやると水が溜まったり、抜けたりして上手くかけない、だから自然と正しい軌道を覚えるようになるということである。しかしこれは初心者までで、経験者には必要ないと思う。あとは「負荷をかける」、これは大変有効で”水の中の筋トレ”といっていい。しかも”まったく泳ぎと同じ動作で行える筋トレ”である。俺は一番小さいパドル(オレンジ色)とプルブイつけ25~50m×10本程度でレストを十分にとり、フィニッシュ速度を意識的に上げて泳ぐ練習[フィニッシュプル]をよくやった(これはかなり辛い)。

パドルには弊害が多い。このためまったく使わないという人も多いと思う。パドルの弊害は「ピッチが衰える」「水感が鈍る」「パドルに頼ってしまう」である。まず「ピッチが衰える」、パドルを使うと負荷がかかり当然ピッチは落ちる。ある程度これは仕方がないがあまりやりずぎると本当に退化していまう恐れがある。だから俺の場合、フィニッシュプルのときも一番小さいパドル(オレンジ)を使うようにしている(オレンジでも速度を上げればかなりくる)。次「水感が鈍る」、手のひらに固いプラスチックを当てているのだから水感もクソもない。当然感覚は鈍ってくる。最後「頼ってしまう」、’パドルをつけると楽だ’という方、危険ですよ。そもそも負荷をかけてるんだから楽じゃダメでしょ。確かに水掻きが大きくなってゆっく~り、なが~くかけばよく進むけどそれが何になるんですか(これはフィンもいっしょ)。

レースが近くなると「ピッチが衰える」「水感が鈍る」は致命的で、使用頻度は減らした方がいい。疲労回避のことも考えればこの時期負荷をかける意味はないので、テーパー期にパドルを使う必要はないと思う。

以上、俺の考え

キックについて about the Kick

自分の持っているキック力の70%をスイムでつかえれば大ベストが出ると思う。でも(俺も含め)大概の人は50%も生かせないのが現実だ。例えばキックダッシュ100m1分30秒を切れる選手はけっこういる。それと同じ浮力と推進力のモーターを下半身につけて泳げたら55秒は出るだろう。しかし55秒の選手はほとんどいないのである。基本的にキック練の時と違い、実際のスイムではローリングや上下動、ストロークリズムに合わせてキック打たなければならない。ここに50%の違和感が生じるのだ。

だからキック力自体を強化する練習よりも、もっているキック力をスイムで生かす練習に多く時間を割いた方が良いと思う。それは具体的なドリルでは、Ba、6ビートFrの選手にはキックスイム、Flyの選手には片手スイム、Fr全般に2ビートスイム、Brの選手には2キック1スイムである。そして何よりも、手とキックのタイミングを意識したスイムは全種目に有効で、これは常に意識するべきである。よく合宿などでボロボロに疲れてくるといい感じで手足のタイミングがとれる時がある。それはいい感じで力が抜けて自分に合ったタイミングになっている場合が多いので、そのとき偶然できて終わりにしないで、意識してドローしちゃおう(習得する)。

またEN2のような泳速が遅い練習になるとレースと違うリズムで泳ぐ人がいるが、EN2までは同じリズムでやっておきたい(スーパーショートの選手は仕方ないが)。やや泳速を上げてレストを長めにとり心拍数を調節する。そうしているうちに段々とレースのビートリズムでもスピードを制御できるようになってくる。一番多く行うEN2をはずす(違うリズムでやる)のが、違和感の大きな原因になっていると思う。

以上、俺の考え

不思議な存在 Never Change

今回は俺にとってとても不思議な存在、同学年(もち男女)について書こう。

「保延は同学年と仲が良くない」これは間違っている、「保延は同学年と仲が良くはない」これは間違いでもない(わかるかな)。俺はいつも後輩とばかり遊んでいて同学年とはほとんどない。同学年だけで遊んだなんて4年間1度もなかったと思う。なんだかカラめないのである。彼らとナベなんて想像すれば、かなりツラい。

ところが愛着がある。俺は先輩や後輩と話していているとつい同学年の自慢をしていまうし、彼らの悪口を言われればムカつく。これはなんなん?俺は先輩や後輩からダメだダメだとよくいわれてきたが、同学年からいわれた記憶はない。なぜ彼らはいわなかったのだろう、俺の中でとても印象深い。そんなことだから、俺が社交的になれる前に’キモチ’が親しくなってしまったのかもしれない。これは俺の人生の中で生まれた確かな愛情である。これからも彼らとナベをやることは絶対ないだろうし、このキモチが変わることも確実にない。いつまでも不思議な存在である。

スイッチ Turn on,Turn off

俺にはスイッチがついている(ねじじゃないよ)。スタート台に上がる前「両方の手のひらを床と平行に下に向け、腰の横やや上あたりに持ってくる」俺はこれでスイッチが入る。もともとはレース前、バックのフィニィッシュポイントを確認していたのが始まりだった。いつもやっていたもんだからその儀式を行うと戦闘態勢に入るというか、心身が研ぎすまされるようになった(パブロフズドッグ)。

また、練習中ダッシュやレースペースでやると試合の臨場感を演出してくれる、緊張し心拍数が上がってくる、それだけで上手く飛び込めなかったり前半で疲れてしまったりする。しかしいつもやっていれば日常になる、その緊張も心拍ももう何百回も体感した。逆に試合会場でこの儀式を行うと、なんだか練習場でやってるような気にもなる。目をつぶれば、いたっていつもと同じことをしている俺がいるのだ。スゥー

このように自分にスイッチをつけてみるのも面白いと思う。どんな些細なことでもいいから’普段とレースを隔てるキッカケ’があればできる。何度もやってるうちにスイッチは自然と設置される。そうなったらカチャカチャ、カチャカチャ、ON・OFFを使い分けて’緊張と緩和’試合でも練習でも大いにスイッチを利用すればいい。もうレースのずっと前から緊張しつづけることもないだろう。

番外

今や「ストライク後の一投」や「ナインボールを狙うとき」などにも使っている。

基本はあるが見本はない Make your swim yourself

“人はそれぞれ体格、体質があって、そのそれぞれ分だけ理想形がある” 今回は「フォームについて」です。

競泳のフォームには普遍的な一つの理想形(トップ)があり、それに近づくことが進歩であり、速い選手ほどそれに近い(競泳ヒエラルキー)。これは×であり、俺の考えは書き出しのとおりである。「トップはそれぞれの中にあり、その’自分’に近づいている選手ほど速い」と俺は思う。だから速い人の真似をするのは間違いである!(まあ最後まで聞いてください)。例えば、俺がジェフ=ラウスのキャッチを真似しようとしてもできないし、したらかえって遅くなるのである。もっと近くで言えば、俺には小池のクロールはできないし、しちゃいけないのである(小池のフォームは七帝一だと思う)。俺は身長170で体重60kg、柔軟性はこんなもんで手足の長さはそんな(損な?)もんである。それに合ったフォームがある。これを妥協と思う人がいるかもしれないが、俺はただ適性だと思う。その人たちとは違う適性(フォーム)で速くなればいいだけだ。

ただ間違ってもらっちゃこまるのは、押さえるべき「基本はある」ということだ。絶対はずせない理論はあるし、速い選手にはそうたらしめている部分がある、部分部分で真似ることは必要だ。だから本を読んだり、速い人の泳ぎを見て、研究することは大切である。ただそれは研究であり、丸暗記丸呑みではない。どこはもらってどこは捨てるかを決める作業である。そうやって自分にあった泳ぎを自分自身で創っていく、あくまで 「基本はあるが見本はない」 のである。

すべてはフィニッシュのために All For Finish

競泳選手のレベルはフィニッシュ速度に比例するのではないか、そんな風に思える。キャッチが上手いのに遅い選手はいるが、フィニッシュがすごくて遅い選手はいない。「ストローク=フィニッシュ」といっても過言ではなく、全てはフィニッシュのために考えた方がいい。そのためには、ストロークをフィニッシュ(終了)から逆算して考えていくのである。

まずフィニッシュ速度を速く(できれば長く)するには「力(パワー)」が必要だ。第一に肘の角度、理論上では90度が一番「力」が出しやすいらしいが、まず自分の角度を見つける(参考:腕相撲の角度)。大概の人は角度がユルい(あまり肘を曲げない)癖がついている。それでキツ目にするとスカッってる感じになるが、それは水を逃がしているのではなくて、本来それぐらい楽にかけるということである。次にローリング及び上下動で複数の筋肉(胸肩背中etc)を動員したい、これもフィニッシュのためである。

そしてさかのぼって、キャッチ。フィニッシュ前に疲れてしまわないのことは重要である。よく「水中では段々加速してかく」といわれるが感覚としては、キャッチは’水をかく’とか’捕らえる’ じゃなくて”水中で手のひらを移動させる”程度でいいと思う(そんなもんでも意外に捕らえてるもんだし)。変に’捕らえる’とか意識するとリキみが出てフィニッシュがぐだぐだになってしまう。勝負はキャッチよりフィニッシュで決す、である。(フィニッシュ至上主義)。

確かに例外がいる、トップの連中である。彼らは当然のごとく最長最速フィニッシュを使い、かつ前段階のスーパーキャッチで水を捕らえまくる。ゆえに一流であり、スイマガとかでその部分が強調される。”これが糸井のキャッチだ”(極深!)、”見よ、山本貴司のハイエルボー”(ほぼ水面)っといった具合である。だからそこばかりに目がいくが、むしろ彼らのフィニッシュを見よう。仮に彼らのキャッチが身についたら2秒速くなるかもしれない、しかし彼らのフィニッシュが身についたら6秒速くなるでしょう。

さあ、優先順位はどっちかな? すべては    のために

答え フィニッシュ

岩崎恭子より鈴木大地でありたい I wish I were

岩崎恭子と鈴木大地は同じ金メダルでも、その質は違う。岩崎恭子は日本選手権決勝くらいを目標にやっていたら、1年間で11秒も伸びオリンピック出場そしてなんと金メダルまで取ってしまった。まさにシンデレラ、ミラクルという意味ですごい。一方、鈴木大地はロス五輪が終わって、4年間であと2秒縮めたら金メダルが取れると目標を設定し、そのためにはバサロで0.何秒、ターンで0.何秒、タッチで0.何秒と計画を立て、そしてそれらを全てやり遂げ金メダルに輝いた。自力、人間の力という意味ですごい。同じすごいでも俺は後者の方がすごい(かっこいい)と思うのである。

じゃ大地みたいにある程度優勝候補が優勝しなければ賞賛されないのか、といっとるんじゃないよ。岩崎恭子は日本選手権決勝という’目標を達成した’時点ですごい、かっこいい、それは大地と同等だ、そしてその先はおまけみたいなものである。ただだから金メダルということでいえば、岩崎恭子と大地は同等ではないのである。ナインボールで例えれば、岩崎恭子は8番を狙っていたらそれが9番に当たり9番も入ってしまった(ゴッツァン)。大地は初めから8を9に当て9を入れると狙いをつけ、そのように打ち、実際そうした、ということである。

さあ、こっからですよ。やはり我々、鈴木大地であるべきではないだろうか。よく「とにかく前半からいって後半もったら儲けもの」みたいな大ベストを狙う人がいるが(前半型の人のことをいってるのではない)、それは結局ラッキーなだけで自力ではないような気がする。確かにどうしても隣に勝ちたい、とかリレーの時などそういう無理をすべき状況もある。がそれを除けば「目標タイム○○秒を出したい→前半○秒、後半○秒→そのためには、~~を改善する。~~を伸ばす etc」と計画を立てて一年間詰めていくべきだ。そして当日、それらが全て決まったときの快感はまさに”アイアムキングオブザワールド!”である。

意気込みノート Dance Again

1997七帝戦 1分03秒49 あれから2年 ダンスアゲイン

七帝戦まであと1週間。昨日ダイブで13秒が出たからスプリントはOK、2年前と同じだ。もうダッシュはしない、あとはためる。EN2は100を6本だけ気休め程度にあと一回やろうと思っている。まぁおまじないというか決闘の前に顔を洗っておくようなものだ。スタートの角度がイマイチつかめないのは仕方がない。おととしは毎回3回づつ練習していたがここ2年はできていない。当日は深く潜りすぎないようにだけ気をつけよう。ターン後のバサロは一回減らす、今は6回ではへばってしまうので5回にする、そしてその分一回多くかくだけだ。

不安材料といえばこれくらいで(+0.4秒)あとは全て上回っている(-0.9秒)。特に心は充実している、絶望もなく楽観もなく以上もなく以下もなく俺の能力が出せそうだ。オープンはレース間隔が短く、隣は違う種目、笛の合図もバック式でなく早めにかまえる。イメージはできている。 前日の200は100のつもりで試す、二日目の朝ひげを剃り、会場に入る、応援をし、昼にアップをする。決勝に興奮し、そして俺は招集所にいく、返事をする、イスにすわる、スイッチを入れる、さあダンスアゲイン。

水に入る、スパッツを直す、キャップの空気を抜く、かまえる・・・・ダンッ!バサロは9回、キックはおさえてテンポはいつもどおりキャッチは意識しない。右手でターン、バサロ5回、一気にいかない徐々に詰めていく、キックを入れる、ラスト15m、意外に長い、がそれは知っている、バランスを崩すな、そのまま上げろ、タッチはそと目に一気に伸ばす フィニッシュ。

1’02’99

もうダウンはいらない

PS

萩谷、加賀谷、栗原と4人そろって大会新を出して、最強写真を撮りたい

時の部屋 We are released

高いところでやっていると本人に自覚がないまますごく成長していることがある。また、困難のトンネルを抜けたとき初めて周りを引き離していることに気づく、入口ではいっしょだった人たちが出口でははるか後方にいる。よく”中大のカイパンをはくだけで速くなる”とかいうのはこういうことだと思う。このことを俗に「もまれる」というが、俺は「時の部屋」と呼んでいる。そこは通常の何倍も時間の進みがはやい、外では1日でも内では1週間が過ぎている。その倍分、内にいる人間は鍛えられている。まさに部屋の外と内、扉のむこうとこっちでは別世界だ。

そして俺が今いるここは「時の部屋」だと自信をもって思う。一年を通して常時40人で練習し、おばけ部員は一人もいない。誰からともなく声が出て、耐乳酸とか知らぬ間にがんばれてしまう。そして遅い人はもちろん、速い人も一生懸命練習している。毎週全体ミーティングをしてメニューから決める。北大にとってこれらは当たり前のこととしか自覚がない、が外のから見るとどうなのだろう・・・不安もある、内にいる俺たちにはわからないことだ。

しかし今 俺たちは放たれる さあ扉を開け外へ出よう

一つの山を登れば

先にはまた大きな山がある The Next Mountain

七大男女優勝、やったぜ。おめでとう。みんな速くなってる、応援もデカくなってる、試合が楽しくなっている。今の北大は確実に去年より成長している。みんながんばったね。このまま関カレ・全国公もいくぞー。毎年関カレ、全国公はあきらめてしまうけど、これからは北部、七大という枠を越えてもチームとして勝負してほしい。一つの山を登れば先にはまた大きな山がある。

俺個人は、1分03秒33(1Ba)。ベストです。いちお大会新、でもその前にもっと速いタイム出した人たちがいたね(もう時代は1秒なんだなぁ)。目標は2秒だったからタイムを見た瞬間は悔しかったけど、気持ちは穏やかでした。これで満足しようと思います。こういうかたち(水泳)で結果を追求することももうないでしょう、このタイムに愛着をもって’終わろう’と思います。今は胸を張って言えます「俺は3秒の選手です」。

そして俺も、次の山をめざします。君たちとその後輩が七大10連覇を達成する時、俺はアルマーニを着てリムジンで祝勝会にかけつける(かな?)。

試合はまさに試合 AN5

七帝戦に行って意外に他大の人がこれを読んでることを知りました。読み返してみれば、北大ローカルの用語やネタ頻出で他大にはなんのこっちゃという話が多いと思います。それでも技術面、メンタルなどわかるとこだけでも読んでいただければ幸いです。

トレーニングは、試合で’使う’であろう様々なもの(耐乳酸能力、AT値、集中力etc)を主に個別に鍛える。が、それらを同時に合わせても機能するか(試し)というトレーニングはなかなかできないと思う。レースペースというのがあるが、いまいち足りない気がする。俺自身はトライアルをトレーニングとしてよくやっていました。ペースをつかむというより恐怖に慣れるために。試合が近づいて練習量が落ちてきた頃から試合10日前くらいの期間に週2程度、練習後にタイムはだめもとでやってた。しかし短水と長水の違いなど埋められない要素は残る。そこいくと「試合はまさに試合」。試合も”試合”という一つのトレーニングメニューとして考えたらどうだろうか(さしずめAN5)。

もちろん試合は真剣、全てを注ぎ込む。がただ漠然と済まさない。例えば、アップを’いつ”どのように”どのくらい’したか覚えておく。そして変化をつけて試してみる。めし、’いつ”何を’食ったか覚えておく、試す。こうしてオリジナルを確立していく。また、少しマニアックだが、レース直後、どの’肉’ (筋肉)が疲労しているかチェックする。ダウンでながしてる時にちょっと気にかけるだけでできる。これで実際どの肉が使われているのか知ることができる(全身と言わずに探ろう)。

試合によってはそれ全体を’試し ‘に使えるときがある。北大でいえば道学。「道学は全国公」俺の中の常識。一日でリレー3本、個人2本(タイム決勝)を泳ぐ道学は、全国公の’試し’に最適だと思う。北大のレベルにとって全国公はリレーも個人も予選から全力で、人によっては一日5本全力ということになる。一発だけでないタフさがなければ勝てない。このダイハードを道学で経験しておくことはいい。そうすればその後半年の練習(特に合宿など)で意識できる。

付記。試合(という名の練習)の後はすぐに栄養補給をして超回復したい。その日最後のレースは、ロッカーへ水着、ゴーグルといっしょにプロテインをもって行こう。

之を楽しむ者に如かず Know<Like<Enjoy

論語で子曰く「之を知る者、之を好む者に如かず。之を好む者、之を楽しむ者に如かず。」という一文がある。いくら知識やノウハウを知っている人でも、好きでやっている人にはかなわない(好きこそものの上手なり)、さらに好きな人もそれを楽しんでやっている人にはかなわない。これはかなり真理だと思う。98年度シーズン(3~4年)になって俺の考えはここに行き着いた「人間楽しいと感じた時の集中力、吸収力は絶大で、多少(時にはかなり)セオリーから外れた練習でも最高の結果をもたらしてくれる」。

それからの俺は遊びはじめた。時々ここはちょっと隣と競ってみよう、たまには心拍数無視して何秒くらいでるかやってみよう、今日は一本だけやってあと流そう、とかね。さらに進んでメニューでも、フロートをキックで押し合うスプリント、海兵隊チックに水中でジャンプやったり、耐乳酸をリレーでやったり、スタートダッシュ王、ターンダッシュ王、筋トレピラミッド(通称「きんぴら」森考案)etc。これらは全体から見れば1割にも満たない色物だけど、実はすげー重要だったと思う。俺たちはスイマーのまえに人間だから、ストイックなだけじゃ強くなれない。

キン肉マンはウォーズマンに勝つんです。

尾方の背中 My Best Memory

俺は今までの人生で結婚したいと思った人が一人だけいる。しかもその相手は男で、しかも尾方だ。注)もちろん肉体関係ナシで願いたい。

俺の記憶には尾方の背中がよくうかんでくる。初めてソープに行った時一番に入室したのが尾方、あいつの背中がカーテンに消えていった(その後俺で最後小池)。あれは2年の春、合宿前に心の糧を作ろう!って行ったね。結果は惨敗。終わった後、尾方が待ち合わせ場所に来ない、散々探してやっと見つけたら「自我が崩壊した」だって(笑)。

1年の頃はいっしょに陸トレしてた。今思えばすげー’ガム練’(ただガムシャラにやる練習)。ロッキーの真似して自然の中で鍛えるとか言って(アホでしょ)、農場の深雪をひたすらダッシュする。丸太がないから棒きれ背負って深雪ダッシュ、超つらいよ寒いし。足はももまで埋るし10mも走ると動けなくなる(マジ耐乳酸)、10mダッシュしては歩いてまたダッシュ。そうこうしてる内に吹雪になっちゃって視界が全然見えなくて方角もわからない。恐かったあ。多分あっちがポプラ並木だ、とにかく離れるな、とか言ってほんと学内で遭難するかと思った。そんときのことも尾方の背中がうかんでくる、覚えてる黒いジャージの、あたりは真白だった。

いつしか最後の年 最後の大会。尾方2年くらいずっとベスト出なくてね。1998全国公、屋外プール暑かった。スタンドから見ると水面がテラテラまぶしくてその中をみんな泳いでいく。尾方が2バタ泳いでるの見てて瞬間アホな頃がよみがえった、俺ら走ったな・・・

200mバタフライ北大記録

1位 尾方 寿好 2:25:01 1998 全国公

2位 保延 恒  2:25:37 1996 道学

・・・ワンツーフィニッシュ。

短編 Omunibus

悪条件はラッキー

去年の全国公、岡山県総合グランドプールはボロい屋外だった。しかも炎天下で水(というかお湯)はぬるぬる。でもラッキーだと思った。「これで何人かあきらめてくれる、俺が倒さなきゃならない人数が少し減ったな」って。もちろんタイムだけを狙うときはつらいけど、勝負のとき悪条件はいい。遅いヤツがまともにやられたらまず勝てない。だから俺はいつも悪条件はラッキーだと思う。速いヤツがあきらめてくれるから、俺は絶対あきらめないし。

やっていけば’壁’は絶対ある。そこまでいかなかった人には信じられないかもしれないけど、1年間全てをかけて100分の1秒も伸びないなんてことがありうる。そのときの絶望は死にいたる。しかし’壁’を知らないまま引退した人が幸せなのか、不幸なのかどちらともわからない。それぐらい絶望は苦しいし、越えたときの喜びは恐ろしい。

初心者という言葉

自分で「初心者」という言葉を使ってもらいたくない。聞いたときや自己紹介で「専門は初心者です」とか俺は好きでない。新歓期は仕方ないけど、やりたい種目、今練習してる種目を言ってほしい。自分で言うんじゃなくて、「○○は初心者から始めたんだ」とひとから言われるようになってほしい。

しょせん酒

部の飲みはね、年々ちょろくなってますよ。これは間違いない。でも酔って何ができたからって何でもない。人間しらふの時が勝負で、そういう意味では水泳部はすごく練習してるし、応援もデカくなったし、みんな意地見せてますよ。中にはコンパ見て嘆く人(特に先輩)もいますけど、俺は”しょせん酒”。俺達は水泳部でコンパ部じゃない。

一年を通してバランスよく

年間トレーニング計画、北大では一年を通してバランスよくやった方がいい。量期とか質量期とか週4回の練習でかたよりをもたせるのはちょっとつらかった。週6くらいあればENを増やそうとかできるが、週4では最低おさえておくべきメニューでいっぱいになってしまう(どんな期でもEN2やAN3を全然やらないというわけにはいかない)。1年間、トレーニング期とテーパー期だけ分けて、あとは負荷漸増と休息週を考えて強弱をつけていくのでいいと思う。

計画的根性練

水泳部では根性練みたいのは「やる意味なし」っていうのが常識みたくなってる。今やもう悪の根源みたくいわれようだ。俺自身も排除してきた。でも実は「やる意味はなくはない」。根性がつく、これをやったんだという自信がつく、通常の練習が楽に感じる。だから年2回くらい(例えば合宿とかで)そういうことを意図した計画的根性練はやってもいいと思う。故障するほどじゃダメだけど、メニュー見た瞬間「ゴクッ」「やりたくねー」っていうのをがんばることも十分有用だ。

テーパー恐怖症

みんな遠征を終えて気づいたと思う「テーパーをかけても遅くならない」、否!、「テーパーをかけると速い」。もー今は昔、大学生となれば歳です。よほど肉体年齢が若いかサイヤ人でもないかぎり、たかだか1,2週間で’疲労ゼロ”完全体’にはなれんよ。恐れずに1ヶ月くらい、思い切ってかけてください。 (注)やり方は森に聞こう

勝利の女神

恋をすることなんてメッタにない。それでも人を好きになれたら君は絶対速くなる。

ほしいものがあれば人は自然と努力する、守るものがあれば強くなる。なんだか夜更かししてしまっても、きっとその何倍も自然治癒力はアップしている。このレースは一人じゃない。恋をしている人が漠然と生きている人に負けるわけはない。

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